蓮の育成は、NPO法人長池オアシス顧問 金子明雄先生(元京都府立植物園園長)に
ご指導いただいています。
入口には鉢にて約80種類のハスが植えられています。
水生植物帯に咲いているのは、舞妃蓮(まいひれん)、漁山紅蓮(ぎょざんこうれん)、長池妃蓮(ながいけひれん)、
ミセススローカム、一天四海(いってんしかい)、愚白蓮 等です。
咲き分けという珍しいハスが咲きました。 2018.8.3
成合寺の愚白和尚は、ある時村の人々を寺に集めて
『能登の総持寺でいま火事が起きたので、この庭石に水をかけなさい』と
言い、 村人がその庭石に水をそそぐと、水はしうしうとしみこんだという。
数か月後、能登の総持寺から使いの僧が成合寺に来て、出火の時に
火消人足を賜ったことを感謝した。
成合寺の愚白和尚が亡くなったとき、 山一面に蓮華が咲いた。
水も蓮華の種子もないはずの山に蓮華が咲くとは不思議なことで、
この蓮華の花をとったものが、今、院にある。
(「蓮華」とは蓮の花の事を指します。畑に生えているのはゲンゲ又は
レンゲソウです。)
愚白禅師が大変優れた僧であったことがわかる逸話が「見聞宝永記」に記載されています。
*「見聞宝永記」江戸時代前期の曹洞宗の僧 損翁宗益の言葉を、弟子である面山瑞方が筆録したもの
泉州におられた愚白禅師はかつて、越中(富山)の瑞龍寺の住職であった。
ある年の冬、加州(=加賀、石川県南部)の宝円寺の住職が、春に瑞龍寺相手に裁判を起こすつもりであると
愚白禅師は知った。 そこで愚白禅師は、年明けの早春、年賀の挨拶を金沢の城主(前田候)に申し述べる日をもって、
二度と瑞龍寺に帰らなかった。身の回りの手荷物と笠のみを持って去ってしまった。
前田候の者が探したけれども、どこに行ったか分からなかった。
愚白禅師は、秋になって泉州に遊行していたところ、(大阪府泉南郡熊取町にあった)成合寺は住職がよく盗賊によって殺害され、現在は住職がいない事を聞いた。愚白禅師は 『幸いなことである。山居するに好い土地である。老僧がもし、害に遭えば害せられよう。 たとえ害せられなくても、また(寿命を思えば)幾年を過ごすことがあろうか』と言い、すぐに同寺の住職となり、日中は弟子達と托鉢して飢えをしのいだ。
泉州岸和田城の岡部候は、愚白禅師がすぐれた僧である事を喜び、山林や田畑を援助し、寺は豊かになった。
すると、修行僧が集まってきた。実に、曹洞宗の寺を復興したのである。
もし、先に愚白禅師が瑞龍寺に籠もり、宝円寺と下らない裁判で確執が起これば、お互いに迷いの煩悩が増し、
それで自らの行いを悪しきものにしたことだろう。 ただ、僧仲間の恥辱をさらすだけでは無く、
そのために僧仲間が恥じ入ることにもなろう。 ああ、徳の高い愚白禅師の行いはまさに、
末世に生きる僧にとっての目指す標準であると。
愛知学院大学 教養部人文科学 菅原研州准教授 訳
上記の文献を現代語訳し、考察された、曹洞宗の僧侶でもある菅原准教授のお話によると、